JP2ー4 Judgeの7大「資質」④コレクトネス(Correctness)への拘りと執着
何事においても「拘り」と「執着」がなければ大成しません。
ではJudgeとして考えた時、何に対する「拘り」と「執着」が欠かせないでしょうか。
いくつか挙げられるかもしれませんが、最も大事で優先すべきことのひとつは「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」です。
「Correctness」の直訳は「正しいこと。誤りのないこと」であり、それは審査結果とも直結します。
「logical correctness」と言えば「論理的正当性」を意味しますが、JudgeはStandardsの解釈において常にその「logical correctness」を自問自答し、出陳者から聞かれたら詳らかに説明できなければなりません。(=Be responsible for the correctness of the Standards' interpretation)
Standardsの解釈における「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」という「資質」に欠けると、毎日Standardsを紐解いて勉強することもないでしょうし、「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」がなければ自らの審査結果が「本当にそれで正しかったかどうか」と反省することも皆無になり、ファイナル表彰での説明が「本当に出陳者の納得と理解を得られたかどうか」を省みることもないようになってしまうでしょう。
「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」がないからこそ、クラブ員の猫であるとか、懇意にするオーナー/ブリーダーの猫であるとか、IWやRWの賞レースを走っている猫であるとかと言った邪な考えや邪念が入り込むとも言えます。
依怙贔屓を平気でできてしまうのもJudgeの心根に「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」がないからです。
Judgeという〝衣〟をまとっていながら(=資格を持っていながら)いじめや嫌がらせに加担したり、同調圧力に屈したり、一方で平然と「我関せず」と傍観者を装えるのも、「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」に欠けるからと言わざるを得ません。
TICA Asia East Regionを健全に発展させていく「人財」という意味でも、「コレクトネス(Correctness)への拘りと執着」を持つJudgeの育成が欠かせず、この「資質」を欠いたJudgeを養成することはますます組織を腐らせることになってしまいます。
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